| 室町時代に、玄翁大和尚が現在の岡山県勝山町(高田の庄と言われていた)で、原石 |
| となる石を見つけたそうです。 |
| 盛んに作られていたのは、1500年代と言いますから天正年間ですね。 |
| とは言うもののピーンときません。そうですね、日本史から引っ張ってきますれば、 |
| 天正遣欧使節団・・・13歳くらいの少年たちが、日本が文明国であることを世界に |
| 知らしめた頃の話しです。これが1582年で、87年には豊臣秀吉が、バテレン追放令を |
| 発令します。キリスト教徒弾圧ですが、西洋に日本のことを紹介した少年たちは皆、教徒 |
| たちでしたから、受難が降りかかってきました。 |
| 当時 使節団たちは、活版印刷の技術を持ち帰ったと言われています。 |
| しかし、いかにもドイツのグーデンベルクが発明したように言われているこの技術も、 |
| つたないながらも1200年代には、中国(高麗)で鋳造による活字で印刷した実際の |
| 物が残っているらしいです。 |
| しかし、日本はまだまだ一般には、筆を用いて書き現している時代です。 |
| 非常に稀少な高田地方の黒色粘板岩は、硯石として加工され磨き上げられてきました。 |
| この硯師として、和田・村上・滝川という姓が文献に残されています。 |
| 藩主交代の際に時の将軍に、高田硯を献上する習慣がありました。 |
| 高田城の藩主として江戸中期 三浦氏が、この高田硯を手厚く保護したそうです。 |
| つまり乱屈を避け、原石を藩所有物としたようです。特に、明次氏は、名筆家だったと |
| いうことです。 |
| 今は、職人が少なく量産もできず、書道を学ぶこともなく(すでに店主が、学生だった |
| 頃には、選択科目になっていました)特別なときにしか筆も持たなくなりました。 |
| 筆ペンという便利な道具もできましたしね。(笑) |
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| さて、文鎮。この文鎮まで、稀少な高田の板岩でなくてもいいわと思われる方も、多い |
| でしょう。 |
| これを、好まれる方は、やはり墨の持つ匂いと姿に、静寂と凛としたものを感じ取られる |
| のでしょうね。 |
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