高田硯
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高田硯
高田硯と、武蔵の縁について お話させていただきます。
硯(すずり) 高田硯と宮本武蔵 高田硯物語 自然石の干支置物 ホーム
和モダン硯箱 おしゃれ文鎮 硯裏面に記念のことば刻めます。

もう数年遡る話題で恐縮ですが、宮本武蔵といいますと、テレビ開局50周年を、
記念してNHK大河ドラマで放映され、(2003年のことです)一躍 お茶の間の
話題をさらいました。
歌舞伎役者、市川新之助さんが、MUSASHIを演じましたよね。

その時に、武蔵の書き記した 五輪書という本にも注目が集まりました。
五輪書は地、水、火、風、空の5巻からなり、地、水、火、風の4巻は、兵法や
戦術について書かれていますが、空の巻では悟りの境地に達した武蔵独自の
心理を説いています。
また、水の巻には、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」という言葉が
みられます。ここから鍛錬という言葉が生まれたのでしょうか?
こんなふうに、すべてが武術に関する内容ではなく、ビジネスマンにとっても
かなり示唆深い本で、参考になったという声もたくさんあり、今もって
ロングテールな読み本と「なっています。
1640年頃に書かれた本ですから、360年ほどにわたり読み継がれていると
言うことです。そして、この本を書くのに高田硯が使われたのではないか?と、
言われているのです。その根拠は?と、問われると正直、窮します。(苦)

そもそも武蔵の人生は、知られているようでありながら、慶長17年(1612)、
29歳のころに豊前の船島で巌流佐々木小次郎と対決してからと言うもの、
その後30年近くは、どこで何をしていたのかはっきりとは、わかっていない
らしいのです。それどころか、生地にも説が三つあります。

五輪書を書きはじめたのは、武蔵60歳の頃と言われています。
2年がかりで書き上げ、その2ヵ月後に亡くなったということです。
現存する自筆本はありません。
あるとすれば、晩年をすごした熊本あたりかと思いますが。

武蔵の出生地については高砂市米田説と揖保郡太子町宮本説、美作の英田郡
大原町宮本説があります。
この大原町にいたっては、観光地として、武蔵の生家も見学できますし、資料館
では直筆の水墨画も閲覧することができます。同じようなことが、他の出生地にも
あるわけでして、偉大な人物ほど、こういう話は尽きないようです。
高田硯は、今の岡山県真庭郡勝山町の硯山から採れる石で製作されます。
岡山県下大原町の生まれであるのならと、という推測で、高田硯をつかって
いたのではないかと言われているのかもしれません。
ただ、興味深いのが明石に硯町という町名があることです。
私が調べたところでは、硯町で、硯が作られていたという記述はありませんが、
明石市は武蔵ととても縁のある町です。と、言うのは、武蔵がこの町の町割りを
やり、自分の剣術の流派名を月の名所地である円明(明石市)にちなみ、円明流
と名づけたりもしたと言うことがあるからです。
 文学の方から紐解きますと、岡山説も捨て難いところがあります。
吉川英治著「宮本武蔵」では、作州讃甘村宮本出生。
現在の岡山県英田(あいだ)郡大原町宮本)に生まれると書かれていますから。

さて、武蔵は、剣術以外にも、書や、絵画、工芸をたしなんだようで、各地に
その遺作が残っているそうです。
墨絵
「達磨頂相図」
重要文化財の「枯木鳴鵙図(めいげきず)」
「鷺(さぎ)の図」「蘆雁図(あしかりず)」
「戦気寒流帯月澄如鏡」
彫刻・工芸
木彫「不動明王」
鞍・鍔などの装具
造園
円珠院、本松寺、造園(明石城)
武蔵の作品は、岡山県大河ドラマ『武蔵』推進協議会MUSASHIの生まれ育った国
で、見ることができます。
惚れ惚れするような、カッコイイ ホームページです。
まるで、劇画を見ているような感じです。

宮本 武蔵の五輪書 
現代ではビジネス書として読み解かれていたり、人生訓示として読み解かれて
いるようです。こちらから すべての五輪書を ご覧いただけます。

一切の甘えを切り捨て、ひたすら剣の道に生きた絶対不敗の武芸者宮本武蔵。
武蔵は、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」る何十年にも亙る烈しい朝鍛夕錬の
稽古と自らの生命懸けの体験を通して「万里
一空」の兵法の極意を究め、その真髄を『五輪書』に遺した。本書は、二天一
流の達人宮本武蔵の兵法の奥儀や人生観を
知りたいと思う人々のために、『五輪書』の原文に現代語訳と解説、さらに「兵法35箇条」
「独行道」を付した。
宮本武蔵が二天一流の奥義を記した本書は、勝つことにおいて何が理にかなうものであり、何がかなわないのかを説いている。構成は地水火風空の5巻からなり、「地之巻」では兵法や二天一流の概略を、「水之巻」では太刀筋や剣術の極意を、「火之巻」では実戦に勝つための要諦を、「風之巻」では他流派との比較を論じ、最後の「空之巻」では二天一流の到達した境地をまとめている。
実質的に日本一の剣豪となった武蔵は、仕官(就職)先を求めて全国を旅した ようですが、仕官はなかなか実現しませんでした。これが戦国時代なら、武蔵の 兵法は珍重され、すぐにも仕官は適ったことでしょう。
 しかし武蔵の兵法は、徹底して「個」を鍛えて人を斬る、人に勝つことを追求 しています。武蔵の時代は「関が原の戦い」も終わって社会が平和に向かうと き。
 そこでは武士の「個の価値」より、どこの組織に所属するかという「所属価 値」が問題でした。 そんな組織に対して、武蔵は一人で戦いを挑んでいったのです。
 なお、本書の解釈は、ビジネス作家の筆者が数百人におよぶ取材経験を元に 『五輪書』の一部を読み取ったものです。
筆者が人生に迷っている人々を元気づけ、実戦で役立つように「武蔵を独自 に解釈したもの」ゆえ、寛容に楽しんでいただければ幸いです。
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【補足】

高田硯の歴史
★日本伝統工芸展・・・入選  昭和46年・47年・51年・53年
★日本民芸館展・・・入選、入賞  昭和41年・49年・51年・52年・53年
★全国伝統的工芸展・・・入選 
★日本民芸展・・・入選  昭和51年・52年・53年 
高田硯は、名勝神庭の滝近くの山中に産する黒色粘板で作られています。高田とは、かつてこのあたりが高田庄と呼ばれて
いたために付いた名前です。室町時代中期、玄翁大和尚により発見され、室町時代末期、豊後の大友宗鱗に高田硯一面を贈った。
また江戸時代には宮本武蔵もこれを愛用したと伝えられています。その後、この石質優秀なるがゆえ藩有として、乱掘・乱造を
禁じられていました。そして明治維新とともに民業に移された後、原石山を入手し現在に至っております。
勝山町竹原地内の通称[硯山]から採掘されています。1.5m巾のこの地層しか取れない貴重な原石です。

硯の原版を掘り出しているところ。手作業で、原版を掘り硯をつくっているところ。 熟練された技と気迫で、すべてが手作業により丁寧に
彫り上げられます。
彫りあがった硯はひとつひとつ丹精こめて磨きにかけられます。